実の親子や兄弟姉妹でも、冷めた関係になっていることは決して珍しくありません。ですから、相続に関して次のような相談をお受けすることがあります。
「親が亡くなったけれど、生前の仕事関係や交友関係を全く知らない。風の噂によると、故人は事業に失敗して複数の人からお金を借りていたようだ。預金口座には200万円ほど残っているが、その他のことは何も分からない…」
手間をかけて調べてみたら親の財産は大赤字になっていて、それを背負い込むことになるなんて納得できないですよね。なかったことにして全て投げ出したくなる気持ちもお察しいたします。
しかし、これだけはまちがいありません。相続放棄ができるのは原則として被相続人の死亡後3か月間です。放置すれば、事態は悪化します。
今回は相続問題専門の司法書士が相続放棄の有効な活用法を、具体的にお伝えします。遺産の内容がほとんど分からず、なにもできない(する気になれない)方を対象にお話を進めていきます。
目次
1 相続財産の内容を調査する
考えないようにしていても、ふと不安がよぎる毎日を過ごしてはいませんか。問題を先送りにしてはいけません。すぐに着手しましょう。まずはプラスの財産、確定したマイナスの財産、将来マイナスになりそうな財産に区別してリストアップしていきます。
1-1 プラス財産の調査のしかた
預貯金については、通帳や利用明細書を元に金融機関に直接問い合わせてみましょう。その金融機関に別の口座が作られている可能性もあります。また、被相続人が受取人になっている保険は、保険金が相続財産となります。
株式や債券(例:国債や社債)は、近年では証券が発行されないことが多いので、配当金明細書や株主総会の招集通知などが重要な手掛かりになります。被相続人が取り引きしていた証券会社が分かれば、直接問い合わせてみましょう。
不動産については、市区町村や都税事務所で名寄帳(なよせちょう)を取得して調べます。原則として相続人名義の不動産が非課税・未登記のものも含めて載っていますので、とても役立ちます。ただし、住宅の私道部分などは名寄帳に載っていないことがあるので要注意。権利証があればそれも照らし合わせて、相続人名義の不動産を洗い出してください。
さらに、貸金庫はないか、自動車・骨董品・宝石などに査定額は付くかなどを調べ、最終的には相続人全員で情報共有することが大切です。もしかしたら被相続人は、パソコンに詳しい特定の子供に教えてもらいながらインターネットバンキングをしていたかもしれません。
時間的な制約があるでしょうから、親族だけでなく専門家を利用することも検討してください。弁護士、司法書士、税理士など様々な専門家がいますが、いずれにせよ、相続の分野に詳しい方に依頼しましょう
1-2 マイナス財産の調査のしかた
「債権者から督促状が届いて初めて知った」とか「税金だけ払い続けているような気がする」では後手に回ってしまいます。マイナス財産は、プラス財産よりもさらに徹底的に調べる必要があります。
1-2-1 確定したマイナス財産
クレジットカードの利用歴などの負債に関しては、以下の個人信用情報機関があり、被相続人の債務について相続人からの情報開示請求に応じてくれます。
・一般社団法人全国銀行協会
https://www.zenginkyo.or.jp/pcic/
・株式会社日本信用情報機構
https://www.jicc.co.jp/
・株式会社シー・アイ・シー
https://www.cic.co.jp/
ただし当たり前のことですが、いずれの機関も債権者が加盟していなければ情報は出てきません。ここから分かる負債はあくまで一部分です。
個人間の貸し借りや、保証債務(被相続人が保証人となっている債務)は特に発見しにくいものです。とにかく、できる限り生前の人間関係を辿ってみるしかありません。
特に、被相続人が会社を経営していた場合、ほぼ例外なく個人として会社の保証人になっているはず。税務署からの通知などで会社の名前(商号)と会社がある場所(本店)が分かれば、法務局で登記事項証明書を取得し、他の役員に連絡をつけることができるかもしれません。
1-2-2 将来マイナスになりそうな財産
マイナス財産には様々なものがあります。特に注意したいのが、最近よく耳にする“負”動産です。
不動産神話は過去のものとなりました。両親が亡くなり、実家の持ち家が空家になった場合、値上がりする見込みのない不動産について固定資産税や都市計画税を払い続けるだけの状態となりかねません。
それだけならまだしも、建物には維持費用がかかります。維持費用から逃れようとすれば、100万円単位の解体費用がかかります。さらに、建物を解体して更地にすると、固定資産税や都市計画税が約3~4倍に跳ね上がります。
“負”動産は都市部以外だけの問題ではありません。仮に都市部にあったとしても、建築基準法上の接道義務を満たしていない土地は、いったん更地にしてしまうと、様々な規制を受けて“負”動産となる可能性があります。
2 単純承認と相続放棄
上記1の調査で相続財産の全貌が分かったら、相続財産を受け継ぐか否の判断です。特に相続放棄は、本来は相続人であった方を初めから相続人ではなかったことにする、まるで切り札のような制度ですので、少し掘り下げてお伝えいたします。
2-1 プラス財産>マイナス財産なら単純承認
単純承認とはその名の通り、「相続財産を受け継ぎます(相続人になります)」とシンプルに承認することです。特別な手続が必要なわけではなく、なにもしないまま被相続人の死亡後3か月が経過すると、単純承認したものとみなされ相続放棄ができなくなります。
2-2 プラス財産<マイナス財産なら相続放棄
相続放棄をするには、戸籍など一定の書類を用意して、家庭裁判所に申立てる必要があります。しかし、夫婦や親子など近い関係にあり、死亡後3か月以内ならば、決して難しい手続ではありません。費用は申立をする方1人あたり800円(返信用の切手代は別途)。以下の家庭裁判所のホームページを参照してご自分で行うことも十分可能です。
http://www.courts.go.jp/saiban/syurui_kazi/kazi_06_13/index.html
また、相続人が連絡の取りにくい海外に住んでいるなど、死亡後3か月以内に手続することが難しそうな場合は、あらかじめ期間を伸長することもできます。申立書の書き方も以下の程度ですので、こちらもご自分でできるでしょう。
http://www.courts.go.jp/vcms_lf/280607souzokusyouninnkikannsinntyou.pdf
2-3 死亡後3か月を経過した後の相続放棄
厄介なのは死亡後3か月がすでに経過している場合です。相続放棄ができる期間について民法915条1項は「自己のために相続の開始があったことを知った時から3か月以内」と規定しています。この3か月の起算点を遅らせることができれば、まだ相続放棄ができることになるわけです。
最高裁判所の判例がこの条文をフォローして、「相続人が相続財産の全部または一部の存在を認識した時または通常これを認識しうべき時」が起算点だとしています。
例えば、Aが亡くなったとして、Bが「実は自分はAの隠し子だったのだ」と知っただけで3か月がスタートするのではありません。その後Bが「Aには莫大な隠し財産があったのだ」と知った時が起算点になるのです。
これだけでは、ご自分のケースに当てはまるとは限りませんよね? しかし、細かい部分を気にする必要はありません。ワケアリなら3か月は延長できる、という点を知っていれば十分です。
実は、この場合の特別な手続があるわけではなく、あくまでノーマルな相続放棄の手続の中で審査されるだけ。要するに、家庭裁判所を納得させることができればよいのです。
ただし、家庭裁判所が「こうすればいいですよ」と親切に教えてくれることは絶対にありえませんし、1度失敗するとリカバーが難しくなりますので、この場合はやはり、専門家に相談することをおすすめします。
2-4 相続放棄にもマナーがある
例えば、配偶者と子供が相続放棄すると、親など上の世代が相続人となります。親など上の世代が相続放棄すると、兄弟姉妹が相続人となります。つまり、相続する権利は第1順位→第2順位→第3順位と繰り上がっていくのです。
場合によっては、しばらくご無沙汰していた叔父さんから電話があり、「俺の所に督促状が来たぞ、どうなってんだ!」とお叱りを受けるということになりかねません。繰り上がって相続人になるかもしれない親戚がいて、その方に連絡を取ることができるなら、相続放棄することをあらかじめ伝えておくのがマナーというものです。
相続放棄した後は、債権者が分かっているなら、相続放棄したことを報告する気遣いができれば理想的です。「直接連絡を取るのはちょっと…」という場合には、専門家に代行を依頼するという手段もあります。
2-5 相続放棄と相続財産管理人の選任申立
上記2で、相続放棄は切り札のような制度だと述べましたが、実は相続放棄も最優先というわけではありません。民法には「相続放棄をした者は、繰り上がって相続人となる者が管理を始めるまでは、相続財産を管理し続けなければならない」という趣旨の条文が存在します(940条1項)。
ですから、プラス財産<マイナス財産であることが分かり、相続人となる可能性がある者全員で示し合わせて相続放棄したなら、第1順位の相続人はその後も相続財産の管理責任に縛られることになります。
建物であれば老朽化による倒壊や建具の落下の危険が生じます。平成27年5月には空家対策特別措置法が完全施行されました。一言でいうと、空家が増加する時代の流れに対処するため、空家を放置した者に責任を負わせやすくする法律です。つまり、民法940条1項の管理責任が追及されやすくなったのです。
管理責任を問われかねないのは建物ばかりではありません。土地ならば、産業廃棄物を不法投棄されたりすると、近隣住民から苦情が出て管理責任を問われます。自動車ならば、駐車場代金が毎日加算されていきます。
このような管理責任を問われた、もしくは問われそうな場合、家庭裁判所に申立てて相続財産管理人を選任してもらい、相続財産管理人に管理を引き継ぐという手があります。ただし、予納金が立ちふさがります。予納金とは相続財産管理人の報酬や経費に充てるための金銭ですが、一般的な感覚からするとべらぼうに高い。東京家庭裁判所では多くの場合100万円で、事情によっては増額を言い渡されることさえあります。
3 今後注目の限定承認
限定承認とは、プラス財産の範囲でのみマイナス財産を弁済すればよいことにする制度です。相続放棄と同じく家庭裁判所に申立てる必要があります。現時点では、限定承認の受理件数は相続放棄の0.5%程度に過ぎませんが、今後、利用されるケースが増えるのではないかと注目が集まっています。
3-1 限定承認のメリット
最大のメリットはリスクヘッジです。交通事故による損害賠償事件で、賠償額が確定しないうちに加害者が亡くなって相続が開始した。このようなケースではマイナス財産がどこまで膨らむか分からないので、限定承認が効果的です。
また、後順位の相続人を巻き込みたくない場合(親族間に軋轢があって、先順位の相続人と後順位の相続人が示し合わせて相続放棄できないなど)やどうしても手放したくない特定の財産がある場合(自宅不動産や先祖代々の農地など※)も、限定承認を検討するとよいでしょう。
※先買権(さきがいけん)といって、限定承認の手続では相続人が優先的に特定の相続財産を買取る権利が認められています(民法932条ただし書)
3-2 限定承認が利用されない理由
まず、相続人全員(相続放棄した者は除く)が共同して手続しなければならないことが最初のハードルです。相続人の中の1人でも単純承認してしまえば、限定承認はできなくなります。
その他、限定承認が利用されない理由には様々なものが挙げられます。債権者を特定するために官報で公告をしなければならない。相続財産を正当に評価するために鑑定を要することがある。みなし譲渡所得税が発生する。これらがその代表例なのですが、要するに、手続を詳細に規定した法律が存在しない上、判例や実務による運用の蓄積が少ないのです。
ただし世界的に見ると、被相続人の死亡後、プラス財産とマイナス財産を精算してから相続人に相続させることを原則としている国は決して少なくありません。むしろ欧米では、この考え方の方が主流といえます。
日本ではマイナーな存在の限定承認ですが、この先、実社会に則した法の整備がなされ、趨勢が変わる可能性があります。現時点でも、「もしかして限定承認で助かるかも…」と思われたら、専門家に相談してみてください。
4 まとめ
今回お伝えした内容の根底にあるのは核家族化です。このような問題は、今後ますます増えていくに違いありません。
これまでの相続対策では、「プラス財産の目減りをいかに抑えるか」に焦点が当てられてきました。相続“税”対策がその代表例です。これからの相続対策では、「マイナス財産をいかに回避するか」という別のテーマが浮上してくるのです。
・プラス財産、確定したマイナス財産、将来マイナスになりそうな財産に区別して調査する
・単純承認、相続放棄、限定承認の3つの選択肢があり、限定承認は今後注目
・相続放棄の際は、親族や債権者へのマナーを忘れない
・相続放棄をしても相続財産の管理責任が残る場合もある
以上4点がポイントです。ぜひ、お役立てください。遺産の内容が分からずに、なにもできない(する気になれない)という不安からは1日でも早く解放されましょう。